4月 152017
 

夕刊フジ によると。

 現役引退を表明したフィギュアスケートの元世界女王、浅田真央(26)=中京大=が12日、東京都内のホテルで記者会見し、「気力を出し切ったので、今は悔いはない。(スケートは)一言でいうと人生かな」と心境を語った。五輪金メダルには手が届かない悲運のスケート人生だったが、さわやかな笑顔は最後まで列島を魅了した。 

 白のジャケットを羽織り、落ち着いた表情。「選手生活にはたくさんの山がありましたが、支えてくれたみなさんに感謝の気持ちを伝えたい」と、気持ちの整理はついている様子だったが、最後にこらえきれず、後ろを向いて涙をぬぐった。

 会場には早朝から報道陣が駆けつけ、NHK、民放全局が生中継するという異例の注目度。テレビカメラは大小合計100台以上。海外メディアも10社以上。400人以上が集まった。

 年齢制限、最愛の母の死、こだわり続けたトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)と紆余曲折の中、「飽きっぽいのに長い間スケートを続けた自分をほめたい」と照れ笑い。第2の人生について「すぐ夏のアイスショーで皆さんの前で滑るのでいい演技をみせたい。スケートにお世話になったので恩返しがしたい」と抱負も語った。

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4月 112017
 

デイリースポーツ によると。

 フィギュアスケート女子で06年トリノ五輪金メダリストの荒川静香さん(35)が11日、横浜市内で取材に応じた。10日に引退を発表した浅田真央(中京大)の思い出を振り返るとともに「競技を楽しんで表現する大切さを学んだ」と感謝した。

 最初に会ったのは自身が高校生で浅田が小学2年生の時で、「この子はすごいスケーターになる」と直感。しかし、想像以上にその時は早く訪れたという。

 荒川さんにとって現役最後となった05-06年のトリノ五輪シーズン。「当時、私は進退で葛藤してトンネルに入っていた」。その05年、シニアに上がったばかりの中学3年の浅田が、東京・GPファイナルで初優勝するなど飛ぶ鳥を落とす勢いで活躍。「彼女は本当にスケートが好きで、世界で活躍するには物事を楽しんでやらないといけないんだと思わせてくれた」と述懐する。

 06年トリノ五輪では、当時15歳の浅田が、五輪出場年齢資格(前年の7月1日の前日までに15歳であること)を満たしていなかったため、村主章枝、安藤美姫とともに出場した荒川さんが日本史上初の金メダルを獲得。当時を振り返り、「彼女のように楽しんで表現することが大事だったと今でも思う」と強調した。

 2人が同じシーズンを過ごしたのはこの1年だけだったが、「そのことは今でも大事にしている」と荒川さん。「彼女がシニアで悩んでいるときは、当時の楽しい気持ちを思いだして欲しいと(浅田に)伝えたこともある」と明かした。

 そして、あの時の少女が26歳で引退を決意した。「私自身、辞めどきで悩んだし、アスリートは転換が難しくて、自分ではピークがわからないもの」。自身の経験も踏まえながら話し、「フィジカル的にはまだ向き合えても、一度トップを取った選手はモチベーションを低くできないという重圧もある」と、心情をおもんばかった。

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1月 082017
 

オリコン によると。

 様々な角度からSMAPに迫る連載第21弾。2016年12月31日、中居正広がレギュラーラジオでSMAPとしての最後の言葉を語り、SMAPは解散した。そして年が明け、ベストアルバム『SMAP 25 YEARS』が早くも90万枚を超えるセールスを記録する中、中居から届けられたメッセージにはある曲名が織り込まれていた。そこには、どんな想いが込められているのだろうか。

◆直筆メッセージにあったのは、1996年の曲「それじゃまた」

 その曲は、こんなフレーズから始まる。
“信じてると 夢はかなう それは あやしい”

 アイドルなのに、こんな現実的なこと言っちゃって大丈夫かな。最初にこの曲を聴いたとき、そんな風に一瞬面食らった。でも繰り返し聴いていくうちにとてもSMAPらしくていい曲だと思った。SMAPの8枚目のアルバム『SMAP008~TACOMAX~』は、『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)がスタートする直前の1996年3月3日にリリースされた。当時、SMAPのアルバムは数字にちなんだタイトルで統一されていたので、8枚目であることをタコの8本の足と引っ掛けていたのだろう。ジャケット写真は6人が6人とも白の上下で決めていて、森且行の足に、ロボットみたいな金属製のタコの足が絡まっているアートワークもシュールでカッコ良かった。冒頭で紹介したフレーズは『TACOMAX』に収録された「それじゃまた」という曲の一節だ。

◆SMAP解散の日、すべての想いが届いていたことを語る

 年が明けて、SMAPのメンバーからの直筆のメッセージが公式サイトで公開された。それぞれに個性的な表現でファンへの感謝を伝えているのだけれど、中居正広のメッセージに、SMAPの曲のタイトルが含まれていることが、なんだかとても嬉しかった(正確には、最後に小さい「っ」が入っているが)。個人としての活動はこれからも変わらない。でもSMAP5人で歌うことは(少なくともしばらくは)ない。中居は、12月31日のラジオ『中居正広のSome girl’SMAP』(ニッポン放送/7日より『中居正広 ON&ON AIR』に変更)で、メンバーの名とグループ名を呼んでから、最後に「じゃあねー、バイバーイ!」と絶叫した。きっとそれは、SMAPとしての活動につけた一つの区切りで、最後にラジオからは、SMAPのデビューシングルのカップリング曲である「SMAP」が流れた。この曲は、SMAPが結成された1988年に発売された清涼飲料水『SMAP』のCM曲だ。デビュー曲よりも前の結成当時の思い出の曲を、SMAPとしてのラジオの最後に持ってくるところは、いかにも音楽をとても大事にする中居らしいと思った。最近では、2012年の『GIFT of SMAP CONCERT』で歌われた曲で、当時の映像とともに、この曲を歌う5人の表情がとても照れ臭そうで、でも嬉しそうで。ある時期からのSMAPは、どんな曲でも一流のエンタテインメントに仕上げることができるのだなと興奮したことを覚えている。

 中居のラジオがいつ収録されたものなのかは不明だが、29日に稲垣吾郎のSMAPとしての最後のラジオが終了し、翌30日は2017年もタイトルにSMAPの名を残すことになった木村拓哉のラジオの年内最後の放送があり、31日に中居は、「神様は僕にこの31日という(SMAP解散の)日を、どういう意味で与えてくれたのかなぁって」とボヤきながら、ポツポツと解散について語り始めた。デリケートな時期が続きすぎて、丁寧にやろうとして考えすぎて麻痺してしまったこと。自分を肯定するために、人のことを悪く言ったり、嘘をついたりはしたくないこと。今まで習ったことのない1年だったこと。人間の真価を問われる1年だったこと。誰も悪くないこと。メンバーはこの1年、SMAPを最後まで立派に務めたこと。労いとか、お褒めの言葉をかけてあげて欲しいこと。署名運動も、「世界に一つだけの花」購買運動も、ベストアルバムに投票してくれたこと、9月9日のデビュー25周年に各地でイベントを行ったこと。新聞の広告欄にメッセージをくれたこと、それらの想いが、全部届いていること。

◆ベストアルバム投票結果に共感、区切りの日に心通う

 ベストアルバム『SMAP 25 YEARS』にランクインした曲についても、「SMAPを、僕は一番近くで見てますし、一番肌で感じてますし、SMAPファンでもある僕としては、みんなとほぼほぼ変わらない選択だったかなって」と話し、“みんなと気持ちは一緒だよ”ということを、別の表現で伝えてくれた。

 人生で、誰かと心を通い合わせることが、一体何度あるだろう。SMAPはスターで、現実の彼氏でも夫でも王子様でも家族でも何でもないけれど、でも、こうして音楽で、心を通わせることができた。それは、SMAPと出会って、SMAPを心から愛し、想ってきた人たちの特権である。悲しいし寂しいし無念だし、まだ納得はいかないけれど、でも、とりあえず気持ちに区切りをつけなければならない日に、大好きな人と心を通わせることができたことは、ファンにとっての救いであり幸福であり祈りであり希望になったと思う。

◆“通常運転”の安心感と、歌詞に込められた気持ち

 元日には、草なぎ剛と香取慎吾のラジオ『ShinTsuyo POWER SPLASH』(bayfm)が、いつもと変わらないゆるさでオンエアされ、彼らの“変わりながら変わらずいられる”得意のポーズに出会えて、安心できた。中居は、『ザ!世界仰天ニュース』(日本テレビ)の4時間スペシャルでも、マシュマロキャッチが得意だというゲストに、「草なぎは14個できます!」などと話したり、こちらも通常運転だった。

 年末のラジオで、中居は、「(2016年はメンバーにとっても)習ったことのない1年」で、“いっぱいいっぱい迷惑をかけすぎちゃった”ことを反省し、悔やんでいるようだった。でも、「それじゃまた」の歌詞には、ムダな努力はやっぱりムダだけど、でも何か残るものがあるはずだし、2つ3つバカをみても続けてたいから、やるだけやったと気がすむ日まで続けるだけ、とある。1997年、ライブ『SMAP 1997“ス”』で香取は、「それじゃまた」の自分のソロパートを歌いながら涙していた。その理由を彼は自著『しんごのいたずら』で、亡くなった祖母が、横浜スタジアムで香取が祖母のために用意していた席に座っているのが見えたためだと説明していた。

◆中居「どうしてこの言葉を選んだのか」、答えは曲の中に?

 2011年に『カミスン!』(TBS系)という音楽番組が始まったとき、インタビューで中居は、「音楽については詳しくないから。素人目線での質問になっちゃうかもしれないけれど、歌詞は気になります。どうしてこの言葉を選んだのかな、とか」と話していて、実際、番組でも歌詞について質問することが多かった。だから、今、敢えて「それじゃまた」という言葉をチョイスした彼の心は、この曲の歌詞の中にあるのではないかと思っている。

 “結果がどうであっても 参加することに意義があると信じ”

 彼ら5人が歩んでいるのはいつも、誰も教えてくれない、誰も導いてくれない道である。ファンもまた、5人をそっとしておきたいけれど、でも終わらせたくないという思いで、習ったことのない道を進んでいる。ノーベル文学賞を受賞したボブ・ディランは、「友よ、答えは風に吹かれて」と歌ったが、歌手であるSMAPにとっても、未来の答えは曲の中にあるのかもしれない。

 Posted by at 9:20 PM
1月 012017
 

スポニチアネックス によると。

 31日をもって解散するSMAPの中居正広(44)が同日、パーソナリティーを務めるニッポン放送「中居正広のSome girl’SMAP」の最終回に出演。「誰も悪くないんです。メンバーは一年よく頑張った。最後までしっかりSMAPを務めた」と仲間への思いを口にした。

 解散騒動で始まった2016年。何が原因なのか、誰が犯人なのか、そんなことに注目が集まることもあったものの、「誰も悪くないんです。僕悪くないんですよっていうんじゃないですよ、この期に及んで何なら僕悪くても別にいいんですけど。円滑にいくんだったらいいですけど」と説明。あまり報道を見ない中居でも多少は目に入ってきたというが「デリケートな時期を通り越して鈍感というか全然大丈夫」と笑った。

 「いろんな思いがあったと思います。複雑な思いあったと思います。最後までしっかりSMAPを務めたと僕は思います。ねぎらいの言葉をあげて欲しいなって思いますね」とメンバーを思いやる言葉も。ファンの署名活動や購買運動にも触れ「しっかりとまっすぐに僕の目にも耳にも何より僕の心にみんなのすべての思いというのはちゃんと届いてます。お返事遅れましたけど、ありがとう、ありがとうでいっぱいです。期待に応えられなくて申し訳ない、でいっぱいです」と感謝した。

 番組の最後には「ちょっと声を張りますね。いいですか?」と前置きし「慎吾!剛!吾郎!木村!SMAP!じゃあね、バイバーイ!」と仲間へ、SMAPへ別れを告げた。

 来年1月からは番組名が「中居正広 ON&ON AIR」に変わる。

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12月 262016
 

夕刊フジ によると。

 元フィギュアスケート選手の村主章枝(35)が19日発売の「週刊現代」(講談社)のグラビアで均整のとれた美しいヌードを披露している。

 「グラビアは11月のスーパームーンに合わせて三宅島で撮影したもので、来年2月には初の写真集『月光』も出版予定だそうです。『月光』というと、村主さんにとっては2002年のソルトレイク五輪で使用した曲名と同じで、思い入れのある写真集になるようです。フィギュア時代には表情の豊かさから『氷上の女優(アクトレス)』と呼ばれた村主さんだけに、美しい作品になるでしょう」(出版関係者)

 14年に現役を引退した村主だが、実はヌード写真集を出す裏には厳しい経済事情があるという。

 「以前テレビ番組で、地方巡業でホテルを転々としている『極貧生活』を明かしていましたが、02年のソルトレイク五輪で5位、06年のトリノ五輪で4位と活躍した村主さんですら、引退後の生活は大変だそうです。振り付けなどで、好きなスケートにかかわっていられることを喜んではいましたが、実際には普通のOLさんよりも給料は低いそうです」(

 Posted by at 8:11 PM