4月 172017
 

聯合ニュース によると。

2010年バンクーバー五輪フィギュアスケート女子金メダリストの韓国のキム・ヨナさんが来年2月の平昌冬季五輪の聖火を韓国に運ぶ大役を務めることが分かった。

 平昌五輪組織委員会のキム・デヒョン文化行事局長は17日、平昌五輪の聖火リレーに関する記者会見でキムさんがギリシャで採火された聖火を現地で受け取り、韓国に運ぶメンバーの一員に含まれていることを明らかにした上で、「まだ詳しい計画は確定していないが、仁川空港に着陸する飛行機から聖火を持ってタラップを降り、聖火リレー走者に渡すことになると思う」と説明した。

 キムさんはこれまで2回、冬季五輪の聖火リレーに参加した。05年12月にはイタリア・フィレンツェで初めて聖火ランナーを務め、06年トリノ五輪の聖火を運んだ。バンクーバー五輪の際も09年の12月にカナダのハミルトンで聖火ランナーを務めた。

 平昌五輪の広報大使を務めるキムさんは今年10月24日にギリシャ・オリンピア遺跡で採火される聖火を受け取る一行に含まれ、ギリシャから韓国まで聖火を運ぶ。

 会見に出席したキムさんは「06年と10年の冬季五輪で聖火ランナーとして走った。五輪出場に先立ち、聖火リレーに参加できて光栄だったし、これを通じて五輪への夢を育てた」と話した。

 また「ギリシャから聖火を運んでくる一員として参加することになり光栄。韓国内のウインタースポーツの未来の有望選手も聖火リレーに参加し、五輪の情熱を感じてほしい」と話した。

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4月 132017
 

産経新聞 によると。

 「気持ちはすごく晴れやか」。フィギュアスケートの世界選手権を3度制しながら、五輪で金メダルに手が届かず「悲運の女王」と呼ばれた浅田真央選手(26)が12日、競技生活に別れを告げた。東京都内で行われた記者会見では、多くの人々に愛された“真央ちゃんスマイル”とともに、フィギュアスケートに全てをささげてきた21年を振り返った。

 「長い選手生活ではたくさん山があったけど、乗り越えられたのは支えてくれた方、たくさんのファンの応援があったから」

 会見の冒頭から、吹っ切れたような笑顔を振りまいた。元気な声で感謝を述べると、深々と一礼した。

 国民的ヒロインの引退会見は、NHKを含むテレビ各局で生中継された。浅田は「緊張しますね」とはにかみ、水を飲む。

 引退の決断に大きな影響を与えたのは、自己最低の12位だった昨年の全日本選手権だったという。若手が台頭し、体力的にも厳しくなる中、上位に入れなかったことで日本代表の選考対象から漏れた。

 「あっ、もういいんじゃないかな、と思った」

 ソチ五輪後に1シーズンの休養を経て復帰したものの、成績は低迷した。それでも復帰には意義があったと強調する。「ソチ五輪のシーズンで選手生活を終えていたら、まだできたと思って(後悔して)いたかもしれない。自分が望んでチャレンジした結果なので、やり残したことはない」

 自分にとってフィギュアスケートとは何かを問われると、少し考えてこう答えた。「一言で言うと人生」

 5歳から26歳まで全てがスケート中心の生活。そんな人生については「自分が望んでやってきたことだから、つらいと思ったことはなかった」。

 若手へのエールの言葉も忘れなかった。「これまでスケート界を引っ張ってこれたかなと思っている。(今後は)若い選手が若いパワーでスケート界を引っ張っていってくれれば」

 終始にこやかに受け答えたが、最後にあいさつをするために席を立ち、「(引退を)発表してから温かい言葉をいただいて、晴れやかな気持ちで引退を迎えることができた」と述べたところで感極まった。後ろを向いて涙を拭う。

 気持ちを落ち着かせ、もう一度、前を向いた。

 「笑顔で前に進んでいきたい」。そう話すと、マイクを置き、手を振りながら笑顔で会見場を後にした。

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4月 122017
 

スポーツ報知 によると。

 現役引退を表明したフィギュアスケート女子の2010年バンクーバー五輪銀メダリスト・浅田真央(26)=中京大=が12日、都内のホテルで引退会見を開いた。

 ◆真央に聞く(その3)

 ―会見は緊張しますか?

 「熱気もすごいですし、たくさんしゃべって、ノドかわいちゃいました」

 ―引退の日の思いは?

 「発表するまで自分の中で実感なかったんですけど、改めて、ここに座って、今までのことを振り返りながら話していると、少しずつ、ああ、引退するんだなという気持ちはわいてきますね」

 ―どんな気持ち?

 「すごく晴れやかな気持ちです。今年は1月から4月まではスケート靴を持たず、滑らずにいました。7月にアイスショーがあるので、もう滑り始めます」

 ―今日の服装はどんな気持ちで決めた?

 「黒のスーツか白か、どちらにしようか迷ったけど、自分の気持ちとしては、本当に晴れやかな気持ちなので、今、この服を着ています」

 ―「ノーミス」「完璧」にこだわり続けた―

 「失敗はしたくないですし、これだけ試合に向けて練習してきたからこそです。自分は、そんなに試合に強いタイプではなかったので、あえて自分に言っていたのかと思います」

 ―トリプルアクセルとは、どんなものだった?

 「伊藤みどりさんのようなトリプルアクセルを跳びたいという夢を、ずっと追って来たので、跳べた時はうれしかったですし、自分の強さでもあったけど、反面、悩まされることも多かった。(トリプルアクセルに声をかけるとしたら?)え~、難しいですね。なんで、もっと簡単に跳ばせてくれないのって感じ…」

 ―5歳の時の自分に声かけるとしたら?

 「頑張ってって言いたいです。これだけ、たくさんの人に応援してもらって幸せだなと思いました。大変なこともあったんですけど、自分に対して、エールを送ると思います」

 ―後に続く子供たちに言葉を―

 「私はちっちゃい時から、ただただスケートが大好きでやってきました。今から始める子だったり、今、頑張っている子には、スケートを大好きな気持ちを忘れないでねと言いたいかなと思います。子供が大好きなので、スケート教室とか、ぜひやりたいなと思っています」

 ―競技を続けてこられた支えとなったのは?

 「一つは自分の目標。後はたくさんの方に支えられて、たくさんの応援があったからだと思います」

 ―平昌五輪の出場枠が3から2になったのは、引退の決断に影響した?

 「平昌オリンピックに出るという目標をやめてしまう自分を許せるのかな、許せないのかなと思いながら、ずっと過ごしてきて…。でも、最終的に最後、話し合いして決めたのが2月だったので、世界選手権が影響したわけではなくて、自分自身が最後、決めることですし、そんな感じで決めました。2枠になったのは残念なことだけど、たくさんの選手の子たちが争うわけで、本当にハイレベルな試合になるんじゃないかと思ってます」

 ―2月に決断、4月に発表の間の思い?

 「いろいろと自分の気持ちの準備もあり、今日に至りました」

 ―決断を後押ししたのは?

 「家族だったり、お友達だったり、知っている人に相談はしました。いろんなアドバイスをくれました。でも、最終的に決めたのは自分自身。旅行に行ったり、日々過ごす中で決断しました」

 ―21年間の競技生活で印象に残った言葉は?

 「この決断をしてから、本当にたくさんの方に温かい言葉、メッセージを送って下さったので、私自身、本当に晴れやかな気持ちで今、この場にいます。なので、感謝という気持ちは、これからも忘れずに歩んでいきたいと思います」

 ―フィギュア・ブームに大きく貢献した―

 「私がちっちゃい頃、伊藤みどり選手始め素晴らしいスケーターがいました。その方々を見て、私もこうなりたいと、ずっと、それを目指してやってきました。ジュニア、そして、シニアに上がってからは素晴らしい選手たちが刺激し合いながら、切磋琢磨(せっさたくま)してやってきました。応援してくださるメディアの方だったり、ファンの方だったりがいたから、フィギュアスケートも、たくさん注目されるスポーツになった。これからのスケーターの若い子たちも刺激し合いながら頑張って欲しいなと思います」

 ―ソチ五輪、ショートプログラム(の失敗)から20数時間の間に、どう立ち直ったのか?

 「ショートが終わってからは、本当に日本に帰れないと思って、辛い思いもしたんですけど、フリーの当日の朝も、まだ気持ちが切り替わっていなくて。このままで大丈夫なのかなという形で公式練習を終えました。でも、試合が近づくにつれて、メイクして、アップして、リンクのドアを出た瞬間にすごい会場で、これはやるしかないなってという思いが出てきて。ようやく、その時、やるしかないって思いました」

 ―最後の涙と笑顔は?

 「最後のポーズで上を向いてたんですけど、『終わった~』って思いました。それと同時に『良かった』って思いがこみ上げてきて、ちょっと涙してしまったんですけど。バンクーバーでも悔し涙流していたので、泣いてちゃだめだなと思ってました」

 ―競技選手としての卒業式、不安は?

 「新たな一歩と思ってます。不安とか何もなくて、ただ前にある道を進んでいくだけと思っています。これからも新たな経験をして、元気に前を向いて進んでいきたいと思います」

 ―(ロシアの)プルシェンコも引退を発表しました―

 「引退されたということで、私よりも長い選手生活、たくさんの記録を残してきて、本当にたくさんの人を魅了してきた選手だと思います。お疲れ様ですと言いたいです」

 ―これまでの信念は?

 「ちっちゃい頃から変わらないんですけど、何か、これがしたいという目標もって、やってきました。目標を達成する強い気持ちを持って、やってきたつもりです」

 ―今、一番やりたいことは?

 「1月、2月、3月と時間があったので、旅行に行ったり、おいしいもの食べたりできました」

 ―ライバルのキム・ヨナへ選手への思いは?

 「私たちは15、16歳くらいからジュニアの試合だったり、シニアの試合だったりで一緒に出てきました。お互いに、いい刺激を与えながら、もらいながら、ずっと、スケート界を盛り上げてきたんじゃないかなと思っています」

 ―最後の全日本選手権に臨んだ時の気持ちは? そして試合後、どうして「もういいんじゃないかな?」と思ったのか―

 「試合に向かう気持ちは一つ一つの試合、変わらないんですけど、常にノーミスで完璧な演技をする、自信を持って滑ると、考えてました。演技が終わった時に、完璧では無かったですし、自分の現役生活の最高の演技ではなかったので、悔しい気持ちもあったんじゃないかなと思うんですけど、その後、キス・アンド・クライに座って、得点が出て、順位が出た時に『ああ、もう、いいのかもしれない』っていう風に思いました。全日本に12歳の時から出場してるんですけど、一番残念な結果で終わってしまって。結果も決断に至る大きな出来事だったのではと思ってます」

 ―過去の自分に戻るとしたら―

 「26年間ですもんね。ああ、難しい…。本当に戻ることはないと思うので、今は、パッと答えは出てこないですね」

 ―今、五輪への思いは?

 「あと1年で平昌オリンピックということで、選手の方々はいろんな思いを持って日々、生活していると思います。私はエールを送りたいです。4年に1度ですし、選手である以上、目指して、ちっちゃい頃からやってきました。出られて、メダルを取れたってことは良かったと思いますし、本当に素晴らしい舞台だと思います」

 ―生まれ変われたら、フィギュアスケーターになりたい?

 「今、26歳までスケートをやって、すべてやり切って、何も悔いがないので、もう一度、人生があるなら、スケートの道には行かないと思います。食べることが大好きなので、ケーキ屋さんとカフェとか…。レストランとか、やっていたかと思います」

 ―「やり遂げるポリシー」は誰に教わった?

 「やはり母かなと思います。こういう性格なので、すごく頑固って言うんですかね。自分が決めたことに関しては頑固なつもりでいます。しっかり覚えているのは、小さい頃に野辺山合宿、長野県であるんですけど、そこで絶対、トリプルアクセル跳ぶと決めて、合宿に行って、初めて(成功して)下りたのが一番、記憶にあります。その時に目標を達成すると、こんなにうれしいんだなって。また頑張りたいなと思えた時でした」

 ―結婚の予定は?

 「エヘヘ…。結婚のご予定ですか? ないです。お相手がいれば、その方と一緒に(今日、会見場に)入れたんですけど…」

 ―台湾の人はお相手としては?

 「(卓球の福原)愛ちゃんとお友達なので、もし、台湾の方で良い方がいれば紹介してもらいたいです。行きたい国が台湾なので、愛ちゃんに案内してもらいます」

 ―今後、プロスケーターとして、どう活動?

 「一番近くにあるのは『ザ・アイス』なので、まだプログラムも作ってないんですけど、エキシビジョン・ナンバーを作ります。今までのスケート人生のすべてを注ぎ込めるプログラムを作りたいと思います」

 (最後にあいさつ)「皆さん、今日は本当にありがとうございました。(表明から)2日間の間、あたたかい言葉をいただいて、晴れやかな気持ちで引退を迎えることができました。  (ここで涙がポロリ、後ろを向いて泣き顔を隠す)

 (正面を向き直って)え~、スケート人生で経験したことを忘れず、笑顔で前に進んで行きたいと思っています。皆さん、応援どうもありがとうございました」

 Posted by at 9:13 PM
4月 122017
 

東スポWeb によると。

 さっそく政界で真央争奪戦? 社会風刺コント集団「ザ・ニュースペーパー」が11日、都内で新作DVD(5日発売、テイチクエンタテインメント)の発表会を行い、ニセ安倍晋三首相とニセ小池百合子東京都知事が、引退を表明したフィギュアスケートの浅田真央(26=中京大)に政治家転身を呼びかけた。

 ニセ安倍氏(福本ヒデ=45)はコントで「真央さんはソチ五輪のSPでコケたけど、フリーは見事で感動を呼んだ。私も1回目の総理は1年間でSP。しかし2回目は安保法制に駆け付け警護、共謀罪、憲法改正に向かってフリースタイルで頑張っています」と“共通点”をアピール。その後の会見では「真央ちゃんも転んだり休んだりしながら頑張ってきた。少し休んでいただいて、ぜひ自民党から出馬していただければ」と政界へ勧誘した。

 するとニセ小池氏(石坂タケシ=39)が「ぜひ都民ファーストの会で都議選からやっていただきたい」。ニセ安倍氏から「早すぎる」と物言いをつけられても「今日からオファーをかけようと思います」と明言。これに、ニセ安倍氏が「ありそうですね、それ」と漏らすと「あります」と言い切った。

 この日は本人ばりのコスチュームのニセ羽生結弦(土谷ひろし=39)も登場。「真央ちゃんロスになる方もたくさんいると思いますけど、ゆづぽんが癒やしてあげます」と訴えてヤジを浴びてしまった。

 Posted by at 4:21 PM
4月 122017
 

スポニチアネックス によると。

 フィギュアスケートの元世界女王・浅田真央(26)が現役引退を表明してから一夜明けた11日、フジテレビは12日に「引退 特別番組 浅田真央26歳の決断~今夜伝えたいこと~」(後7・00~8・54)を放送すると発表した。11日に緊急特番を編成したテレビ朝日に続いた。

 当初、放送予定だった「おじゃMAP!!SP」から急きょ差し替えた。「おじゃMAP!!SP」は19日午後7時から放送する。

 15年間、浅田の取材を続けてきた東海テレビの渡辺克樹ディレクターだけに胸中を明かした“独占インタビュー”などを送る。

 浅田は「小さな頃から地元の名古屋で取材していただき、ずっとお世話になってきた渡辺さんには、今回の件についてきちんとお話ししたいと考えました。この取材を通じて私の気持ちが応援してくださった皆さまに伝わればうれしいです」とコメントしている。

 Posted by at 6:39 AM
4月 112017
 

スポーツ報知 によると。

 プロフィギュアスケーターの織田信成(30)が11日、TBS系情報番組「あさチャン!」(月~金曜・前5時25分)に出演し、現役引退表明した浅田真央(26)=中京大=についてコメントした。

 木曜レギュラーの織田は、この日は大阪からの中継で緊急生出演。MCの夏目三久アナ(32)から「引退をどのように受け止めますか」と聞かれると、すでに号泣。「復帰してから真央ちゃんがどんな決断をしても応援していこうと思っていたんですけど、引退と聞いてさみしいなっていう気持ちがあります」と涙をタオルで拭きながらコメントした。

 その後、浅田の過去の活躍を振り返るシーンでは、テレビ画面の右下に泣き続ける織田の姿がワイプで抜かれ、ジャンプするタイミングに織田はその都度うなずきながら、泣き続けた。

 再び、夏目アナから質問されると、織田は流れる涙をぬぐおうとはせずに「これだけ、たくさんの方に愛されるスケーターというのは、本当に真央ちゃんくらいで、みんなが大好きだったと思う」とコメント。

 また「“悔いはない”という言葉に、真央ちゃんらしさというか…。普段は優しくて天真らんまんですけど、アスリートとしては本当に男気のある芯の通った女性で、最後の一文にアスリートとしての真央ちゃんの潔さが見えたと思います」としゃくり上げながら語った。

 Posted by at 10:49 PM
4月 112017
 

時事通信 によると。

 女子フィギュア界のホープ、本田真凜(大阪・関大高)が11日、大阪府高槻市内で取材に応じ、浅田真央の引退に「すごくびっくり。信じられない。小さい頃からの憧れの選手なので寂しい」と話した。

 7歳の時、全日本選手権を見に行って「いつか真央ちゃんと同じグループで滑りたい、と思った」。昨年12月の同大会ショートプログラムで念願がかない、「うれしかった」と言う。今月高校生になったばかりの15歳は「ポスト真央」の候補。「みんなが真央ちゃんに憧れたように、(私も)少しでも憧れを持ってもらえるような選手になりたい」と誓っていた。

 Posted by at 9:05 PM